女性のための「うつ病」克服なび

重度のうつ病を克服した私の体験記

大切な人を守るためにも。うつ病の薬の怖さ(副作用)を知ってほしい

前回は薬で失った自分自身の体験を書きました。
そこで少し書いた私の妹のことを今回は書きます。

二歳年下の妹は私が16歳で実家を出た後も
ずっと両親と暮らしていたので、
私たちは10年程離れて暮らしていました。

少し後になって知ったのですが、
私が摂取障害と自傷に苦しんでいた10代後半に、
妹もまた摂取障害と自傷行為に陥っていました。

私はアルコール依存症で暴れる父の元から離れましたが、
妹はずっとそんな父を近くで見続けていました。

妹は私とは違って、自己主張をしない、大人しいタイプだったので
中々感情もうまく外に出せなくてストレスをためていました。

妹もまた私と同じように摂取障害から始まり、
うつ病になっていきました。

私自身も自分の不調で一杯でしたし、
一緒に暮らしていなかったので、
妹本人から話を聞いてあげる機会が殆どありませんでした。

私が妹の変化に気付いたのは、妹が専門学生の頃でした。

自分をうまく出せない妹にとって、
周りへの無言のアピールだったのだと思いますが、
急に服装が変わりました。

黒髪を金髪に変えて、沢山のピアス、露出の多い服装になりました。

化粧や香水が大嫌いと言っていたはずが、
濃い化粧と頭がくらくらするほどきつい香水に身を包んでいました。

リスト、アームカットも酷くて、
絶対人に見せたくなくて隠していた私と違って、
ファッションの一部のように傷をも露出していました。

そして彼女は10代の後半から25歳まで
オーバードーズをくり返していました。

薬を飲んだ妹は別人のように人が変わり、
家の中で暴れたり、暴言を吐いたりしました。

何年かぶりに実家に帰って彼女のそんな姿を見て、
私はとても驚きました。

そんな妹をどう扱っていいか分からずに、
病院に任せきりの両親…病院と薬に任せても妹は一向に善くならず、
妹が25歳の夏に薬を飲んでふらふらな状態で道路に飛び出し、
二台の車に撥ねられて死んでしまいました。

 

「あの時にこうしていれば…」

家族皆が後悔したことでした。

妹の様子が変わった時に、
何か手を尽くせば命は救われたかもしれません。

けれど、間違った情報と乏しい知識、
惰性で妹の命は救われることがなかったのです。

私の、妹に対しての罪の意識は次第に使命感に変わりました。

 

「私は妹の分も生きなきゃいけない。心の闇から完全に克服して、
体験と結果を同じように苦しむ人に伝え続けなければいけない」

 

ここで私が一度強く伝えたいことは、心の闇に陥り、
動けなくなっている人達は決して怠け者ではないし、
弱い心の持ち主ではないのです。

 

またその家族も、愛が足りないわけではないし、
惰性でいるわけではありません。

理由の一つは、正しい知識や知恵が足りなくて起こっています。

良かれと思って一生懸命努力していたことが、
返って自分や家族を苦しめていることもあります。

もう一つは、心の病に陥っている人は欠陥人間でも
努力が足りないわけでもなく、本人のありのままの姿、
生き方、才能、楽しみ等を存分活かされていないからです。

本来あるべき状態や存在を自分自身や周りに認められることなく、
更に否定され続けてきたら、病気になるのも自然かもしれません。

自分の不調が、ありのままの素晴らしい自分を発見し、
認めて活かすチャンスになるかもしれません。


次回からは私が心の闇から脱出するのに役立った方法や
メソッドをおしみなく書いてまいります。