女性のための「うつ病」克服なび

重度のうつ病を克服した私の体験記

サロン勤務と介護、そしてパニック障害とうつ病の診断へ

柔道という自分の生きがいを失ってから、私は柔道に代わる、
何か打ち込めるもの・情熱を持てるものを探しました。

自分は何をしたいのか、どんな生き方をしたいのか、
漠然とはしていましたが、初めて真剣に考え始めました。

結果私が志そうと思ったのは、癒しの仕事でした。

アロマテラピーを人から勧められたのがきっかけで

「癒しの仕事で自分も癒されて、また自分の手で人を癒したい」

そう思い始めました。

スクールに通い、すぐにアロマテラピーの資格と
リフレクソロジーの技術を身につけ、
卒業後すぐにリラクゼーションサロンに就職しました。

手にした憧れの仕事…でも現実は毎日沢山の
お客さんを機械的に施術し、自分自身のケアは全くできず、
手は腫れて使えなくなり、治療を受けながら仕事に行きました。

また精神的にもお客さんのマイナスをもろに受けてしまい、
疲れが取れない日々が続きました。

仕事から帰ると深酒をして

「私のやりたかった仕事はこんなはずじゃなかった」

と悩むようになりました。

そんな中、父が急に脳卒中で倒れて、
介護の必要な身体になってしまいました。

私はアルコール依存症で暴力的な父から逃れるために、
高校生の時から実家を離れて親戚のうちで暮らしていたため、
10年近く父とまともに顔を合わせていませんでした。

そんな父が倒れてしまったことに、私は責任を感じていましたし、
父との穴が開いてしまった父との絆を修復したいと思っていたので、
私は悩んでいた仕事を躊躇なく辞めて、実家に帰り、
父の看病・介護をすることにしました。

父を看た半年間、私はまだ20代前半で
周囲にはまだ親の介護をしている友達などいなかったので、
誰にも相談する相手もなくただただ父の傍で一生懸命介護をしました。

“誰かの役に立ちたい”“癒したい”そんな気持ちから、
私は癒しの仕事も介護も張り切って始めたものの、
実際は疲労と虚しさだけが募っていきました。

結局父の介護でも私は精神的にダメージを受けて、
父を泣く泣く施設に預けることにしました。

父の介護から離れた途端、私の心は落ち続けました。

「私は役に立たない人間だ」

「結局最後までやり遂げられなかった」

そんな自分を責める声が頭の中に響きました。

この時から私は重度のパニック障害うつ病になっていったのです。

介護で辞めていた仕事を再開しようと思っても、
外に出られなくなり、理由なく全てに絶望感を感じて
恐怖感にさいなまれました。

大好きだった電車にも乗った途端激しい動悸と過呼吸が始まり、
吐き気に襲われるようにもなりました。

何とか近所の心療内科に駆け込むとパニック障害うつ病の診断が下されました。